むしろゲームやキャラクターの言葉を通して 精神疾患を導いていくという発想もありますよ。 精神疾患の経験があるのでちょっと興味があるのですが なにをもって「普通」と呼ぶのでしょうか なにをもって「常識」と呼ぶのでしょうか('∀`*)
そもそも、ゲーム障害や依存症になりやすい原因は、 https://human-alba.com/2018/10/28/ゲーム依存症の5つの症状%E3%80%80依存症になる前から苦/ 投薬などの治療ではなく、周囲の環境を変える事で治療や対策が可能。 さぁ・・・始めよう!ライトセーバーデュエリング!
では大上段で振り下ろしてみます。 桃太郎電鉄をやった人が都道府県や地域の特産に詳しいように 刀剣乱舞をやった人が日本刀に詳しくなるように ゲーム漬けだからこそ得られる物もありますよ。 ゲーム漬けが問題でスポーツ漬けが健全って何か不思議ですね。 知識と知恵と哲学は肉体や技術よりも劣るのでしょうか。 悪い所だけが障害として認知されてますが 依存症を治すゲームってアプローチも生まれるかもしれません。 ゲームで精神疾患になるだけではなく ゲームで精神疾患を治してもいいのではないでしょうか。
まず、ゲームで精神疾患を直すのは無理でしょうね。 URLでも紹介されてますが、環境を変えさせるために、韓国で始めた治療方法として、依存者を対象にキャンプを日本でも取り入れられています。 ライトセーバーデュエリングもゲーム依存者を含めてフランス政府が動いている。
実は可能です、箱庭療法という物が精神疾患のリハビリにあり 建物や人形を置いていく作業を通して自分の内面と向き合うのですが シムシティやRPGツクールはゲームではないのでしょうか。 俺はゲームを通して精神疾患になりゲームと現実を足して克服しましたよ。 (現在進行形で狂人の真っ最中という可能性もありますが) あとはオンラインゲームを通して通貨の生産と消費を学んだり 人間関係のやり取りを学んだりする事ができます。 (顔が見えないし口調も分からないので実はレベルが高い訓練です) 余裕の無いシステムが余裕の無いプレイヤーを作る側面もありますが ゲームが悪いのではなく、ゲームの作り方と売り方と向き合い方が悪いだけで それらを教えていく人がいればゲームもスポーツと対等の文化になると思いました。
アストロガーデン・ザポロージェの日常などの庭ゲーも有力ですね。 自分の庭を飾っていく事で自分の気持ちを落ち着けていけます。 あとはマインクラフトなども熱中したら箱庭が作れそうですね。 ちなみに俺は小学校5年からリネージュをやっていたのですが 皆が皆で周りを蹴落として利用して頂点に立とうとするから 心を病んで苦しくなっていくんですよね、 そこで「最強以外の遊び方がある」とか「底辺で支える楽しみもある」とか 「最強になる必要はない」とか「上がいるから楽しめる」のような ゲームとの付き合い方に気づいた時に凄い変化があるんですよね。 だから、ネトゲ依存症って側面もあるけどネトゲから学べる側面もあり ゲームで治す、ゲームで学ぶ、ゲームを極める、は共有できると思いました。
自分も前は重度のゲーマーでしたけど、制作する時間の割合が多くなってからは、ライトゲーマー。流石にホワイトゲーマーにはなっていない。 ツクールでのゲーム制作を通じて、自分自身の能力の無さや無計画さ、やる気の無さを再確認させ、挫折感を味合う事ができるから方法次第では治療できそうな気がする。
あ、それに近い事は俺もやりましたね。 ゲームを作る時に天地創造をイメージして 「作る側」と「作られる側」について考えました。 ・この世に悪が無ければグレーも作れず善が善だと分からない ・罪を犯す事ができる自由意志がなければ人はただのロボットになる ・罪を犯さない主人公を作るためには周りが罪を犯す必要がある ・少しは罪を犯さなければ罪を犯した人の気持ちが理解できない。 ・優しい人を優しい人だと表現するためには冷たい人が必要になる ・この世にある物全てが必要だからそこにある まぁ、こういうのって作れなくてもいいんですよね。 本気で取り組んだ結果、大失敗になったとしても その大失敗こそが精神的な大成功につながってるので。 ゲームを通して失敗・崩壊・再出発に慣れていける部分もありそうです。
ちょっと問答過多になったので消しました、申し訳ない。 理想と現実のバランスをあわせる時って子供のころからバランスが取れていると 個性が伸ばせなくなって没個性的な世界になるんですよね。 バランス感覚って出る杭を打つためにあるんでしょうか。 突出した杭が倒れないようにするためにあるのでしょうか。 地球にエベレストとマリアナ海溝が無いのが良いバランスなのかなぁ。
まず、 http://blog.livedoor.jp/datenaoto2018/archives/8123819.html 個性とはその人特有の能力。 大抵は身体的特徴、性格や気質に分類された行動パターンなので、無個性の人はそうそういません。 自分が言っているのはセンスと直感の方。 自分自身の能力に身の丈の合わないをすれば、破綻か停滞。 それだけの事・・・。
エターナラーは論外だとしても、普通に制作している製作者を対象にしたら、ゲーム制作時間とゲームプレイ時間がどっちの割合の人が多いだろうか?