【R-18】成人向け描写について雑談

R-18系作品には触れたことが無く、的外れなことを言っていたら申し訳ありませんが、
「そういった作品を作ったつもりがないはずが、そこに足を踏み入れた(または踏み入れかけた)」ことは手を変え品を変え
何度かありますので、こういったこともある、という1つの話として聞き流していただければ幸いです。

1.自作品(主にキャラ)のスタイルがR-18系(少なくとも全年齢ではない)の方のアカウントに繋がった。
 サスケさんの仰るLGBTに該当するかどうかは分かりませんが、自作品には「半ズボンの可愛い系の少年キャラ」が毎回出て来ます。
(いまの主流のハーフパンツ系ではなく太ももまで露出する系の、いわゆる昭和後期時代のもの)
00reirei0.png
 ミニスカートの女の子キャラがいるなら、こういう男の子キャラがいてもいいよね、的な軽い気持ちで入れているのですが、それが
 その手のキャラをこよなく愛するキャラにヒットしたらしく、そちらのアカウントを覗いてみたら…という感じでした。
 今月正式公開予定の「ディジットパーティー」、一応全年齢対象の長編RPGなのですが、主人公の少年がまさにこのタイプそのものです。

2.R-18とまでは行かないけれど、シリーズが進むにあたり自作品での性的描写が加速した。
 格闘ゲーム、それもスカートを履いた女性キャラが登場する関係上避けて通れないのが「スカートの中を描写するか」。
 完全にシャットアウトする、下着で無いモノを中に履かせておく、完全にフリーダム、と市販ゲームでも判断が分かれています。
 自作品では個人制作では基本的に完全シャットアウト(際どい描写は結構ある)でしたが、共同制作の時点で完全フリーダムになりました。
 一瞬迷いましたが、そこまで品の無い描写ではない(と思った)のでそのまま公開、その判断が良かったのか悪かったのかは分かりませんが、
 グラフィック面の大幅強化、またゲーム性での評価も頂いたこともあって、作品は高い評価をいただいております。
 もちろんその中にはその性的描写的な評価もあるとは思っています。全年齢対象かと胸を張れるかと言えば、正直自信はありません。

3.ネタのつもりで仕込んだ言い回しの元ネタを調べたらR-18ネタ(と思われるもの)に辿り着いた。
 前述の新作「ディジットパーティー」は数字に関するネタをいろいろ考えていたので、その中で主にネット上でよく使われる数字の羅列
「114514」について元ネタを調べてみたら…というのが始まりです。調べてみたらこれだけでなく、ネットでは割と使われている言葉、
「ありがとナス」「はっきりわかんだね」「やりますねえ」「オナシャス」などなども元ネタを辿ってみたら全部同じでした。
 衝撃的な事実かもしれませんが、これらは今、小学生も普通に使っています。もちろん元ネタなど考えず、
 流行っているから使った程度の感覚なのでしょうが、本作のメインキャラたちは小学生なので、うっかり使わせるところでした。
 もともと元ネタありのネタ満載の作品なので「元ネタを調べてみても面白いですよ」と銘打っている、かつ全年齢作品という事を考えると、
 元ネタがR-18(もしくはそれに近い)ものを入れるのは正直はばかられるのですが、想像以上に浸透していて全部取り切れているかと
 聞かれれば、これも自信がありません。
 
若干オフトピで申し訳ありませんが、夢幻台さんの話に乗っからせていただきます。

ハーフパンツではない、1996(平成8)年まで主流だった、短い半ズボンは、
確かに、男性向けのいわゆるショタコン(少年好き)が好んで採用する題材ですね。
半ズボンが廃れて一気にハーフパンツに移行が進んだのが1997(平成9)年。
それ以前に作られた作品の男の子は、大抵普通に短い半ズボンですね。
いまでも礼服や私立で制服のある学校では、半ズボンが主流みたいですが、
既に廃れた半ズボン時代を懐かしがっている、ロートルなショタコンの方が本当に多いです。

カミングアウトしていなくてもショタコンの人は結構いると伺っています。
元々ショタコンは女性が主流でしたが、今では男性の人も目立つようになりましたね。
聞いた話では、ショタコン向けの同人誌即売会を見ても男性が多く、
なおかつ男性と女性ではツボがことなるのか、結構男性用と女性用で各ブースごとに
訪れる人が異なる、と聞きました。

ハーフパンツ登場以前は、男の子が性的な対象になるなんて考えもしなかったし、
今でも男性で少年好きという人が存在することを知らない人は多いようです。

本来、半ズボンの少年、というだけでは性的対象になりえず、
それはサザエさんのカツオや、ドラえもんののび太などが未だに着用していますし、
実際、児童ポルノでもなんでもないのですが、
その手の人には、たまらないものがあるようですね。
僕が知っている、一番極端な人は、絵本売り場に行き、短い半ズボンを穿いた絵を探して、
(主に、夏休みなどを題材にした絵本に多いようですが)それで興奮するという
にわかには信じがたい話も聞いたことがあるため、
「たまたま作ったキャラが、R-18でないにもかかわらず、性的な目で見てしまう人がいる」というのは
もはや日常茶飯事だと感じています。


僕が作ったツクール作品の中でも、いわゆるLGBTの方から、そんな感じの感想を戴くことがあり、
R-18でも何でもないのに、性的に興奮する人、いるんだなあ、って感じています。
 

sally_elly

ユーザー
未成年に対する描写は例えば、水着姿の子供の写真をアップロードするとポルノとされると聞きます。
何が悪くて何がよいのかという境界線は、どんどん厳しい方向にシフトしているように感じますね。

一方で大人キャラに対するR-18要素は直接描写がなければ騒ぎになりにくい印象があります。
セクシー女優が地上波のテレビに出演し、「114514」関連のワードは年齢制限のないところで言葉や元ネタの解説が消されずに存在していますし、
いわゆる元ネタを想起させる内容ではなく、一般的に流行している使い方程度であれば全年齢と言っていいのかなと思います。
 
>サスケさん
 スレッドの趣旨と若干ズレていたら申し訳ありませんが、こういうスレッドでもないと話しにくい内容でもあるので、
 せっかくの機会という事でお話しさせていただければと思います。
当時の短い半ズボンというと、元気のいい男の子のイメージが強いですが、それと同時に「オシャレ」のイメージも強いです。
礼服や私立小学校の制服での半ズボンはこういう「オシャレ」の側面の方が強いかなと思っています。
どちらの理由にしても当時としては丈の短い半ズボンはポピュラーな服装で、話題に出ているサザエさん、ドラえもんなどの
アニメキャラクターなどにも色濃く反映されています。

ところがいざ自分を振り返ってみると「オシャレとしてはぜひ着用したい」半ズボンにもかかわらず、小学校高学年からは全シーズン
長ズボンという、半ズボンキャラを量産している人間にあるまじき服装でした。そこにはアニメの半ズボンキャラと
現実で半ズボンを履くのに決定的な違いがあったからに他なりません。それは「半ズボンの隙間から下着が見える」の一点。
スカートの女性キャラの下着が見える描写は数あれど、当時のアニメの半ズボンキャラの下着が見えたという話は聞いたことがありません。

しかしもちろんそれはアニメでの話。実写ドラマ(当時は子どもが出ている実写ものがよくあった)に出てくる半ズボンの子どもたちは
事あるごとに半ズボンの隙間から下着をのぞかせていました。見たいわけでもないのですが実世界の半ズボンは隙間から下着がのぞくのを
防ぐにはあまりにも防御力が低く、態勢によっては防ぐ術がありません。体育座りを筆頭に立膝で座ったり、ちょっと股を広げたり、
お腹辺りまで脚を上げればもう危ない、という有様。まして激しい運動や取っ組み合いのケンカともなればそんなことを気にする
余裕もありません。周りの様子や反応を見るにそれを気にしない男子は多かった、そういうものと割り切っていたみたいですが、
少なくとも自分はものすごく気になりました。また自分の時代の体育着は中学校でも丈の短い(その割に裾が妙に広い)短パンだった上、
当時はスパッツなどという便利なものも無かったので、ペアで腹筋運動や倒立などするとき、向かい合って体育座りをする時などは
裾の隙間から下着が見えてしまうことは避けられず「見えてる♪」「丸見え♪」的なことを言われた日には恥ずかしくてたまりませんでした。
今思えば、そういうことを口にするということは、それに興奮している男子もいたのかもしれません。
当時は男子の下着は純白が主流(だったと思うので)、それが性的な刺激を助長したのかもしれませんが…。
もちろん女子の視線も割と多く、非常に気になりましたが、何しろ防ぐ術が無いのでどうしようもなかった、というのが本音です。

…という感じなので「本来したかったオシャレも、そういった性的な目で見られるのが恥ずかしくて出来なかった」
(オシャレのつもりがシャレにならなかった)反動が、自キャラに「本当は自分がやりたかった」服装をさせることで
現れているのかもしれません。
一方で、太ももまで露出する半ズボンキャラに興奮する方が多いのも(しかも割と年齢のいった方に多いのも)、当時の
「半ズボンの隙間から白い下着が垣間見えた」状況を想起させているのかもしれません。

>sally_ellyさん
>未成年に対する描写は例えば、水着姿の子供の写真をアップロードするとポルノとされると聞きます。
 まさにそうなっていると聞きました。未成年に対する性的描写に関してはより一層厳しくなっている感じがします。
(本来それが正常なのかもしれない、という意見もありそうですが)
 サスケさんの仰る「男の子が性的な対象になるなんて考えもしなかった」は「世間一般としては」そうだったのかもしれません。
 気になったのでちょっと見返してみたら決定的だったのが「卒業アルバム」。自分の学校だけかもしれませんが、
 「臨海学校で入浴時の写真が男子のみある(女子のは無い)」という事態になっています。もちろん湯船につかっているので
 映っているのは上半身だけだから大丈夫…と、自分も含めて思っていた時代故の写真だったのかもしれません。
 もう一つ、自分が最も気にしていた「半ズボン(体育着含む)の隙間から下着が見える」写真も多数ありました(女子のは無い)。
 当時から女子に対してはそういった性的嗜好が働くので、そういった下着が見える写真は選ばない風潮があったけれど、
 男子にはそれが無かったからそのまま掲載した、という時代を反映しているような気がします。
 
 でもネット上でも調べてみると、昔はそれが当たり前だったしいちいち気にしていられない、という意見が多数の一方で、
 実は相手のそれを見て(卒業アルバムを持ち出す人も)興奮していたという意見も少なからず存在しており、
「表に出ていないだけで、男の子が性的対象になることもあった」ことを如実に表していると思っています。
 
 そう考えると(もちろん故意ではないのは明らかですが)、半ズボンの隙間から下着がのぞいている場面が多々ある、
 一昔前の実写ドラマは軒並み規制が入るかもしれないですね。
 
最後に編集:

もふもふ

ユーザー
(児童)ポルノの問題は今、どうなっているんでしょ。
実写の児童ポルノはNG。(所持で逮捕とかいわれてますよね)
絵の児童ポルノはNG?
亜人(非人間キャラ)はOK?
なんか最近また規制が厳しくするみたいなニュースをどこかで見た気が。

なんかエロゲは、年齢の問題で小中高学校とかは使わず、
学園とかの名称を使うって昔聞いたことあります。
 
(児童)ポルノの問題は今、どうなっているんでしょ。
僕が聞いた範囲では、絵に関してはOK(非実在なので)ということになっていますが、
現実の子供のデータを加工して作った3Dモデリング画像が児童ポルノに該当する、
という判例も出ていて、結構判断が難しいです。
ただ、pixivなどを見ても、2次元の画像は法的には現在はOKのようです。
また、亜人については判断が分かれますが、これも非実在なので、OKと見做す動きが大きいです。

あと、エロゲなどの18禁コンテンツについては、子供に見えても「18歳以上」という設定にすればOK、
といった、結構グレーな状態になっていますね。
言葉遣いも独特で「女子高生」ではなく「女子『校』生」という表現が多用されます。
前者だと、18歳未満になりますが、後者だと、あくまで女子校であり、女子大学なんかも含まれるからです。

それにしても、最近は、基準がどんどん厳しくなってるのは感じますね。
まあ、ネットの影響で、どんどんそういうコンテンツに接するのが容易になったからでしょうか。
個人的には、いくら制限設けても、業界は抜け道見つける、いたちごっこが続くだけと思っていますが、
窮屈さは感じています。
 
サスケさんの仰る通り、非実在ならOK、実在(実写?)はNGという線引きのようです。
やはり「対象になった子の精神的苦痛」への配慮が大きいかなと。非実在なら対象になりようがないので。
(Vtuberのように「新しい実在感」をどうするかはまた意見が割れそうですが。ましてそれが18歳未満の設定年齢ならさらに)

>それにしても、最近は、基準がどんどん厳しくなってるのは感じますね。
 これは自分も含めて反省すべきなところですが「規制に頼らなければ理性を抑えられなくなった」点も大きいと思います。
 自分が生きた昭和後期~平成初期は正直今よりも、それこそ児童ポルノになり得るメディアがたくさんありました。
 もちろん報道されないだけで問題になった描写も多々あるとは思いますが、それでも今ほど規制に至らなかった理由としては、みんな
 『空気を読んだ』
 の1点だと思います。当時(今もですが)自分は空気が読めない人間なので、みんな暗黙のルールをよく守れるなあ~と感心したものです。
 暗黙のルールをよく破って「そういうのあるんなら、じゃあちゃんと書いておいてくれよ!」と泣いて抗議したのもいい思い出。

 でも今は自分レベルの空気の読めなさが普通になってきてしまっている。何が良くて、何が悪いかはちゃんと規制してもらえなければ
 分からない。自分も含めてそういった大人が多くなりそれならば規制していかないとダメだね。となっている気がします。
 ただサスケさんとも被りますが「規制はどんなに厳しくしても、穴を付いてくる人が現れる。それがいやなら完全に穴の開かない規制を
 導入する=完全シャットアウトしかないけれど、そうすると空気穴も塞ぐので世間が窒息する=そうでない所で問題が起きる」
 あくまでも推測ですが遠くない未来、昭和時代の少年が出ている実写ドラマや、下着を常時見せているワカメちゃんが登場するサザエさんは
 軒並み規制が入る…そんな時代が来る気がしてなりません(そうでもしなければ子どもを守れない、という判断)。
 きちんと住み分けして楽しんでいた、ごくごく一般の倫理観を持てる人、空気を読める人からすれば、とんだとばっちりだと思います。

※余談
 かつてスチャダラパーがラップ「ゲームボーイズ」でこんなことを歌っていました。
 『虚構と現実、区別付かない。このままじゃ子供達が危ない』
 これは「ゲームばっかりやっているとロクな大人にならない=ロクな大人になれない子供達の将来が心配」と思っていましたが、
 今の時代を反映すると「ロクな大人になれなかった大人に食い物にされる子供達(の身体や人権)が心配」なのかもしれません。
 
最後に編集:
その規制をしたせいで強姦がやたらと増えるという結果。
例えば韓国では規制した年は昨年度よりも5倍増える結果になっている。
というより規制うんぬんよりも娯楽が少なければ少ないほど犯罪に走り経済が低迷し、女性差別が酷くなる。
エジプトが人口増加しているのは娯楽がセックスだけというもので、これだと女性の社会進出なんて無理。
逆に少子化の日本は大量の娯楽があるからセックス不要というもの。近年草食系女子が表れているのもこれが原因。
つまり、同人誌を買って疑似セックスして満足していた人が規制で出来なくなって、今までしなかった本物のセックスという名の強姦に走る。
秋葉原の通り魔も幼少期の毒親による教育が犯罪に走らせる結果になる。
 
かつてスチャダラパーがラップ「ゲームボーイズ」でこんなことを歌っていました。
 『虚構と現実、区別付かない。このままじゃ子供達が危ない』
ああ、このラップ好きでした。このセリフ、確か事情を知らないおっさんが
ゲームやっている人に投げかけた言葉であり、僕は、そういう人への皮肉と解釈していました。
深読みするとそういう解釈も出来る深い台詞ですね。

その規制をしたせいで強姦がやたらと増えるという結果。
その通り。世界から「日本ではなんで性犯罪が極端に少ないんだ?」って調査対象になるくらいなんですよ。
これはとりもなおさず、「そういったコンテンツの規制が緩いから」に他なりません。
何でも規制すればいいってもんじゃなくて、それによる副作用に頭が回らない人が法律を作ると
こうなっちゃう、っていう良い例だと思います。

ところで、児童ポルノというか、その他のテレビの自主規制に関しても、
最近、なんだかいきすぎだと思うんですが、
こちらも、規制を厳しくすると、却って実在の子供たちへの危険が増す、といった可能性は
排除できないんじゃないかなあ、って漠然と思うことがよくあります。
 
海外は個性教育という名のマナー教育しないものだから・・・。
個性なんか太平洋戦争時代の日本なんか個性を徹底的に排除したのに菅野直という自機の主翼をぶつけるという個性を超越した人がいるぐらい。
素人よりも犯罪学に精通した人に犯罪抑止力を考えた方がいい。
まぁ、プリキュアに関してはエロ(制作スタッフ自体がやりたくないから)よりもネタ(ハッピーロボやまなっしーなど)に走るというものだから。
ジャンプも打ち切り漫画には高確率でエロに路線変更する傾向がある。それでも打ち切り。
 
「最初から性的なコンテンツとして作る」ことと「性的な要素を見出して興奮する」ことは別個の話として考えたほうがいいですね。
抑制すればするほど、そういうところを見てみたいという気持ちが出てくるところがありますし。

表現規制に関してはあまりしすぎると「子供たちが、自分に「性的価値」があることを理解できない」だとか
親が自ら「この価値観は、少なくとも私が気に入らない」というのを伝える機会が減ったり
「健全な環境」で育てると、のびのびと差別主義者になってしまうというのを
聞いたことがあります。
 
まず初めに…謝ります。大変ご迷惑をおかけいたしております。

多少の脚色はありますが「こんなことがあった」エピソードで、規制が厳しくなっている原理の理解の一助になれば…と。

「学校におもちゃを持ってきてはいけません」という決まりはポピュラーなものとして存在しています。…にもかかわらず
雨の日の教室で過ごせるものとして、教室にはトランプ・けん玉・こまなど、自分から見れば「おもちゃ」に該当するものがありました。
持参する児童もいて、「なんでおもちゃを持ってきてはいけないのに教室におもちゃがあるんだ?」と自分はいつも疑問に思っていました。
軽い気持ちで友達同士で「なんでおもちゃはダメなのにトランプはいいの?」「なんでトランプはいいのにファミコンはダメなの?」と
聞いてみたら『お前は何を言っているんだ?』的な顔をされたので、ああこれは聞いちゃいけないこと(みんな分かっていること)なんだなと
察しましたが、自分には理解できませんでした。正直今も、子供にこの質問をされたら、通り一遍の返答はできなくはないですが、
納得のいく説明が出来るかと言われれば自信はありません。
ところがある日、学校にゲームボーイを持ってきてしまった子がいました。いいおもちゃと悪いおもちゃの区別が付かない、そもそもそんなの
あっていいのか疑問に思っているのは自分だけではないんだなと思いました。それは中学生の時だったので反抗期が重なった影響もあるかとは
思いますが…。学年で問題になり「(トランプやウノなどそれまで認められていたおもちゃまで含めて)おもちゃ全面禁止」になりました。
これまで普通に雨の日にトランプやウノで遊び、問題を起こしていなかった子にしてみればとんだとばっちり、もらい事故もいい所です。
もちろんそれは自分の学年限定。「こうでもしなければ問題を防げない」苦肉の策だったようです。
※近いエピソードで「自分のクラスだけボール遊び禁止」とか「あのクラスだけ外遊び禁止」とかなら皆さんも経験があるでしょうか。

これはあくまで1クラス・1学年・1学校でのエピソードなので「ああ、変なのがいるな」で済ませられるレベルでした。
でも今の時代はその「変なの」もツイッターやYoutubeでそれを世界に拡散できる時代。クラスや学年ならそれ以外の立ち居振る舞いで
距離を置くこともできましたが、検索でいきなり出されたら回避手段がありません。そして自分も含めてですがその「変なの」に限って
やたら声が大きくて目立つ。管理する側から見ればそれじゃあその危ないコンテンツに引っかかる周りも規制していかないとダメだよね、
前述の例で言えばこれまで大丈夫だったトランプやウノも規制しないと、その「変なの」から世間を守れないね、となる。だから規制する、
これがいわゆる「副作用に頭が回らない人」、スチャダラパーのラップの歌詞を借りれば「分析家おやじ」の言い分だと思っています。
世間一般からすれば煙たがられる「なんでも規制したがる人」にもちゃんと言い分がある、言い分を許す土壌が出来てしまっています。

自分がその「変なの」の代表というのもおこがましいかもしれませんが、もう一度…ごめんなさい。
「じゃあ出てくるなよ!」と言われそうですが自制もできない。「変なの」とはこういう生き物なんです…。

※かなり真面目な話になって、スレッドの趣旨と外れてたらすみません。でもこういう話ができるのもR-18スレッドならではと思っています。
 
最後に編集:
>>夢幻台さんへ
自分の場合は親に学校へおもちゃを持っていってはいけないと言われましたが「授業中に遊んでいなければいいだろ」と
先生に突っかかって連絡帳に書かせたことがあります。今にしてみれば、そういう問題ではないんでしょうね。
さすがに「ゲームボーイや人生ゲームを持ってきてはいけない」という空気は読めてましたが。

とはいえ、子供は遊びの天才とよく言われますから消しゴムをコマ代わりにしたりします。
自分の場合であれば、牛乳瓶のふたをかき集めてめんこや弾きバトル(お互いに机の上でふたをはじき、落としたら勝ち)だとか
エニックス(当時)から出ていたバトルえんぴつ(知っていますか?)を「持ってくるのを禁止」されたならば
自分で鉛筆に情報を書き込んで自作したりもします。

自分はそれで新品の鉛筆を使ったせいで怒られましたが、いまにしてみれば
こんなのを作ればいいとも思いました

1メラミ 誰か1人を選んでに40のダメージ
2全員に10のダメージ
3ミス
4ヒャダルコ ●に30のダメージ
5ヒャダルコ ★に30のダメージ
6ミス

上記の情報を自由帳に書き込み、サイコロまたは1~6の数字を書き込んだ鉛筆で乱数を生成し
バトルを行えば、おもちゃにする鉛筆を最小限で済ますことができます。
 
最後に編集:

温州みかん

ユーザー
成人向け描写の年齢制限の理由について
表現の自由と公共の福祉による制限という部分から考察してみます。
ところが、一言で言ってしまうと<程度の問題>になってしまいます。
本来、法や制度は「白か黒」を定義し突き詰めるものです。
グレーというのは好ましくありません。
割り切れないグレー<程度の問題>で評価するのは法や制度の分野ではなく倫理観を超越した<政治の分野>です。
Covid-19問題がリアルタイムな実例です。

ですが、性的表現のさまざまな事象を分析、分類していると線をいくら引いても足りません。
説明する方も聞く方も訳が分からなくなってしまいます。
なので、公共の福祉という側面から考えてみます。

大前提として、いかがわしいとされる行為は犯罪でも悪行でもありません。
なぜなら、それをしなければ人類が絶滅してしまうからです。
もう少し先の未来では、ヒトの人工培養が可能になっているかもしれません。しかし、少なくとも21世紀初頭の科学技術では完成していません。
幸せを身体全体で感じ、愛する人と共有することのできる、素晴らしい行為です。

年齢制限あるいは、表現によっては一切禁止されている理由は、それらの表現が「性の搾取」と親和性が高いからと考えています。
とくに人格を否定する「性の搾取」を推奨または肯定する表現は、耐性がなければ致命的なダメージを受けてしまいます。
俗にいう性癖を捻じ曲げるという程度の些末なものから ガチのトラウマになるものも存在します。こうかはばつぐんだ。
実際に年齢制限が付与された媒体に描写される「性の搾取」を実際に行うと犯罪に問われるモノが多く、よって、それらを推奨または肯定するかのような表現は「基本的に自由ではあるものの公共の福祉を理由に制限を受けるべき表現」に分類されるのは妥当だと言えます。
しかし、この“激しいプレイ”と“暴行”の線引きは非常に困難であるため、<余白を多めに切りとる>ことになってしまいます。

年齢制限を設ける理由は、精神的経験が未熟なうちに、人間の極致を目撃すると、そこまでに至る人生経験が味気のないものになってしまうから、という部分があります。
極端な例を挙げると麻薬のようなものです。
人生の目的が幸せを得ることなら、クスリに頼るのが手っ取り早くなり、それ以上の多幸感が存在しないことを嘆いてしまうわけです。そして、社会的生産性の低下につながります。
ゲームに例えるなら、バグ技を使ってエンディングを呼び出しても、果たしてゲームをクリアしたと言えるのか、それが本来のゲームの面白さなのか、と感じる部分に近いです。
また、身近に暴力を目撃していると、その閾(しきい)値が下がる、とでも言うのでしょうか。特に抵抗感や不快感を覚えなくなるわけです。「性の搾取」を肯定する思考との相乗効果や因果関係にも結び付きます。いわゆる「プライミング(呼び水効果):犯罪の助長」も全く無視できるものではありません。
ゲームやラノベに登場する王族の子どもが妙に達観しているのは、性的なものに限らずいくつもの人間の極致を目撃している、という設定に基づくという部分にもつながります。

最近増えている理由が「性的な表現にさらされない権利」を守るという考え方の浸透です。
タバコの煙よろしく「性的な描写による不快感」を与えない配慮が必要とされます。
後者の理由とリンクしています。
つまるところ、性行為は日常的なものではなく非日常の分野に分類し、日常と切り離す必要性を訴えるものです。
最近は洋画でも 幸せなキス が表現されにくくなっているのも関連しているのでしょう。たぶん。ポリコレってやつとはちょっとチガウ。
一方的な権利侵害もまた搾取であるといえます。


結論として、性的な表現において、その制限を設ける際、「性の搾取(権利侵害)」との<関連性>が何よりも重要であると考察できます。


なお、キノコは生殖器官を指すことばです。何の比喩でもなく。菌糸体の。
 
そこにはアニメの半ズボンキャラと
現実で半ズボンを履くのに決定的な違いがあったからに他なりません。それは「半ズボンの隙間から下着が見える」の一点。
スカートの女性キャラの下着が見える描写は数あれど、当時のアニメの半ズボンキャラの下着が見えたという話は聞いたことがありません。
80年代前後って、冬でも半ズボンの子もいましたね。
股下が短いため、下着が見えることは日常茶飯事でしたが、当時は誰も気にしてなかった記憶があります。
既に死語だと思うのですが、「ハミパン」のみならず、「ハミチン(ハミキンとも)」までいました。
ぶかぶかのズボンやパンツを穿いている子は、局部(主に睾丸の袋)が一部垣間見られやすいのもありましたが、
それも自然のことだったな、って思います。
当然、男子たちにも、日常茶飯事だったので、誰も何とも思っていなかったんですね。
これは僕の学校での経験ですが、学校、クラスによっては恥ずかしいからと、
ぴっちりとしたパンツを穿いてた男の子もいましたね。また、そこを指摘する友人も皆無でした。

だから、昨今の「男の子でも、局部表示は禁止」の風潮を見るにつけて
「たとえアニメも自主規制始めたのか。誰得?」と思わずにいられません。
端的な例では、クレヨンしんちゃんが、放送初期にやっていたいわゆる「ぞうさん」が
封印されてしまったのかと思っています。

「学校におもちゃを持ってきてはいけません」という決まりはポピュラーなものとして存在しています。…にもかかわらず
雨の日の教室で過ごせるものとして、教室にはトランプ・けん玉・こまなど、自分から見れば「おもちゃ」に該当するものがありました。
ところがある日、学校にゲームボーイを持ってきてしまった子がいました。いいおもちゃと悪いおもちゃの区別が付かない、そもそもそんなの
あっていいのか疑問に思っているのは自分だけではないんだなと思いました。
確かに、ゲームボーイはアウトでしょうが、トランプなどの非コンピューターゲームであれば、
OK、というのは、僕として腑に落ちます。
このあたりの是非は、学校ごと、クラスごと、あるいは地域ごとで温度差がありそうですね。
実際、中学校の頃は、カードゲームのUNOを持ってきて、昼休みとかに楽しんでいるのは普通にありました。

あとテレビゲーム系が許されない理由は、時代と対処する先生で玉虫色の理由がありそうですね。
当時はゲームボーイなどは「子供の遊び」であるものの、同時に、教育心理学的かに見ても、
「友達とコミュニケーションが取れなくなる」「いわゆるコミュ症」のきっかけとして、
反対する学者さんは多いみたいです。

トランプやその他ボードゲームは、結構頭も使うし、何より手を使うから、IQが上がる、
テレビゲームは一方的で、なおかつ自分が不利になったらリセットするとか、
しかも現実と異なり、努力を裏切らない。「人生、何でも思い通りになることなんてないんだぞ」
事情を知っている先生なら、こういう台詞で叱責すると思います。

でもいわばスマホ全盛で、学校に持ち込むのはあくまで連絡用ですが、
こっそり休み時間に隠れた場所でゲームを楽しむ姿がよくみられるそうですね。
電車乗っていると、スマホでパズドラやってる人が老若男女を問わずしばしば見かけます。
前述の頑固な先生の例を見ても、「思い通りに世の中がいかないから、
せめてゲームだけでも達成感を味わいたい」って思いが強いんでしょうね。
先生側でも、その事情は汲み取って欲しかった(学校に持ってきたのはNGとして)と思います。

よって、僕の仮説として、世間が厳しい状態に立たされていて無力感を覚える人が多いが、
そういう人のメンタルを一時的にせよ補ってくれるのが大きいんじゃないかな
、と思っています。
 
>シトラスさん
 子どもは遊びの天才というのに同意します。遊び道具が無ければ無いで、次々と色々な遊びを考えていきますね。
 最近ではRTA(リアルタイムアタック)がよく配信されていますが、あれも主に昔のゲームを使った「作られた遊び」だと思っています。
 遊びを考えるのは楽しいですし、実はそこに思考の成長を促す何かがあるような気もします。
 「最初からゲームが描かれている下敷きや文具はダメだが、自由帳に描いたすごろくと紙で作ったお手製のサイコロならいい」というのも
 (実際それで遊んでいる分には文句は言われなかった。すごろくのマス目の内容も学校生活に即していて「遠足が雨で延期になり1回休み」
  とか「教育的」と判断されたのかもしれませんが)
 もしかしたら「自分たちで遊びを作ってほしい。自分たちで作った遊びならいい」という、当時の先生方の線引きだったのかもしれません。
 もちろん当時の自分にはその線引きの理解はできるほどの頭は回りませんでしたが…。

>サスケさん
>時代と対処する先生で玉虫色の理由がありそうですね。
 そういう意味では「ゲーム脳」のくだりはゲームを禁止させたい大人にとって大変都合の良いモノだったかもしれません。

 自分としてはゲームも、他のおもちゃと同じで「1人でも遊べるけど基本はみんなでワイワイやるもの」で、ゲームはあくまで道具。
 1人用のRPGでさえ「どこまで行った?」「アレはどうやって倒した?」など友だちと情報交換。常に友だちの存在があり、
 「ゲームを通して友達と遊ぶ」でした。でも全員が全員そうではなく、そういうのを目的としないゲームもある。
 「友達を通してゲームを遊ぶ」という感じで、手段と目的が逆転してしまったケースもあったような気がします。
 「〇〇ちゃんの家に遊びに行こう」「でもあの家、今ゲーム壊れてるんだよ」「え、じゃあやめとこう」…という感じで。

 確かに友だちとコミュニケーションを取らず、黙々とゲーム画面を眺める様は子どもの成長の観点から良くないというのには同意できます。
 これはアーケードゲームでもそうですが、昔は対戦相手が目の前や真横にいたので、ルールとしては認められていても相手との関係が
 気まずそうになりそうな行為はしない、というのが成り立っていた気がします。負けそうになったら勝負を放り出すとか、
 格闘ゲームで言えばハメ技は(できるけど)禁止とか、そういう意味ではゲームで磨かれた人間関係力も少なからずあったと思います。
 でも今はそうとは限らない。友だちで集まってはいるけどやっていることはそれぞれ自分のゲーム…ということもよくあると聞きます。

>股下が短いため、下着が見えることは日常茶飯事でしたが、当時は誰も気にしてなかった記憶があります。
個人的には男女問わず「やたらに下着が見える(特に「出る」「はみ出る」)のはみっともない」というイメージが強かったです。
女子でもそれこそワカメちゃんの如く全開だったり、サスケさんの仰る下着や局部があらわになるのは、そそられるというより
「みっともない」のイメージで、少数派だったとは思いますが、自分は結構気になりました。裾と脚の隙間が広い線の細い子の方が
見えてしまうイメージが強いですが、実は多かったのはむしろ肉付きのいい男子の脇からはみ「出て」いる下着や局部のケースも多く、
それには正直興奮するどころか目を背けたくなる「カッコ悪さ」がありました。いわゆる「ハミパン」も「出る」部類なので同類。
その反面(かなり特殊性癖かもしれませんが)滅多にそういうものを見せないようなガードの固い、いわゆる「みっともなくない」人
(男女問わず)の半ズボンの奥で下着が見えるのにはドキッとした記憶があります。だいたいそういう人ほど「おしゃれ」の一環として
脚を露出させている感じでした(自分のように絶対に嫌ならば「おしゃれ」を封印して長ズボンを履けばいいだけなので)。
おしゃれで品のある子の不意な見えにはドキッとさせられる…。詰まるところ性的な興奮か、又は見てはいけないモノを見てしまったという
背徳感がそうさせていたのかもしれませんが。ネット上でそういった意見があるのを見て、かなり少数派ではあるけれど
自分だけではないんだな、と振り返ることも…。そういう意味では自分自身だけでなく、クラスの中にもそういった気持ちの男子が
いたのかもしれません。みんな普段から見せている、見えているものなのに何で自分が(不意に)見せてしまった時だけ「見えた!」とか
言ってきたのか…も、この原理なら説明が付きます。
(当時、自分は顔はともかく線は細かったので、そういう性癖の子にはスラっと伸びた細い足と太ももに半ズボン、
 その隙間からわずかにのぞく下着には興奮するものがあったのかもしれません。私服はともかく体操着は回避手段が無かったので)

 特にコロナウイルスで夜の街、外での飲酒・食事関係、スポーツ、旅行などの娯楽が次々規制されている今の時代。
 今こそ娯楽としてのゲームの本領発揮なのではないかと思っています。…という事で気合を入れてツクりたいところです。
 
最後に編集:
トップ