神無月サスケ
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「ゲームは無駄」という意見については僕もかなり反論したい部分が多いです。
まず、遊びとしてのゲームについて。「ホモ・ルーデンス」と言う言葉があります。
遊戯的人間とでも訳しましょうか、人間にとって遊びは必要なもので、
遊びによって、人類は進歩してきたのです。
ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」についても、同じような議論がなされており、
これはそのままテレビゲームにあてはめることが可能です。
要するに遊びを排除するということは、型にはまってしまう、すなわち、
進歩を止めてしまうことに等しいと思います。
これに気づかず、効率だけを追い求める人の感性は、どこか貧しいものを感じます。
そして、本題のテレビゲームについて。
ファミコン時代から、テレビゲームは悪者と見做されており、
それをイベントで親御さんたちの顔を見て察した高橋名人が
「ゲームは一日一時間」とアドリブで言った話はテレビ番組「しくじり先生」で出てきましたが、
(余談:個人的に一日一時間は短いと思っていますが)
前述の通り、人間の豊かさと言うのは、いかに「周囲からみて無駄に思えることを
楽しめるか」ということにあると思います。
僕がこの話題が出るたびに引き合いに出すのが、登山の話です。
登山を無駄と否定する人はほぼいないと思いますが、
ぶっちゃけ、無事登頂に成功しても、そこにあるのは景色と、
あとは旗を立てるだけで、他に何もないと思います。
それでは「登山は無駄」と言えるんでしょうか?
同様に、ゲームが無駄と感じる人は、何か人間として大切なことを忘れている気がします。
逆に有益なことばかりを追い求め、無駄を排除しようとする人は、
実は一番効率も悪く、むなしい人生だと思います。
一度、ソフトウェアエンジニア向けに書かれたデマルコの著書「ゆとりの法則」を
読んでいただきたいですね。
ゆとりというのは、このスレで議論された「無駄」と通じるものであり、
効率主義に警鐘を鳴らしています。
人間はホモルーデンスであり、決して効率や結果だけを追い求める機械ではないのです。
まず、遊びとしてのゲームについて。「ホモ・ルーデンス」と言う言葉があります。
遊戯的人間とでも訳しましょうか、人間にとって遊びは必要なもので、
遊びによって、人類は進歩してきたのです。
ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」についても、同じような議論がなされており、
これはそのままテレビゲームにあてはめることが可能です。
要するに遊びを排除するということは、型にはまってしまう、すなわち、
進歩を止めてしまうことに等しいと思います。
これに気づかず、効率だけを追い求める人の感性は、どこか貧しいものを感じます。
そして、本題のテレビゲームについて。
ファミコン時代から、テレビゲームは悪者と見做されており、
それをイベントで親御さんたちの顔を見て察した高橋名人が
「ゲームは一日一時間」とアドリブで言った話はテレビ番組「しくじり先生」で出てきましたが、
(余談:個人的に一日一時間は短いと思っていますが)
前述の通り、人間の豊かさと言うのは、いかに「周囲からみて無駄に思えることを
楽しめるか」ということにあると思います。
僕がこの話題が出るたびに引き合いに出すのが、登山の話です。
登山を無駄と否定する人はほぼいないと思いますが、
ぶっちゃけ、無事登頂に成功しても、そこにあるのは景色と、
あとは旗を立てるだけで、他に何もないと思います。
それでは「登山は無駄」と言えるんでしょうか?
同様に、ゲームが無駄と感じる人は、何か人間として大切なことを忘れている気がします。
逆に有益なことばかりを追い求め、無駄を排除しようとする人は、
実は一番効率も悪く、むなしい人生だと思います。
一度、ソフトウェアエンジニア向けに書かれたデマルコの著書「ゆとりの法則」を
読んでいただきたいですね。
ゆとりというのは、このスレで議論された「無駄」と通じるものであり、
効率主義に警鐘を鳴らしています。
人間はホモルーデンスであり、決して効率や結果だけを追い求める機械ではないのです。