自由きままに雑談

ぶー太

ゲスト
ありがとうございました。できました。
何もわかってなかった私にわざわざ教えていただいて
本当にありがたいです。ご迷惑おかけしました。
 
なんか、ここに記載する人が減っているので、記載。

このフォーラムで使える絵文字を組み合わせてみた・・・。

:rock-left: :o :rock-right:

指のポーズはツーアウトだけど、地中海エリアだと侮辱行為になるので注意が必要。
 
最後に編集:

ぶー太

ゲスト
ドラクエの映画見てないくせにドラクエの映画の批判がいくつか目に入っただけの
すんごいにわかの自分が書くのは何だけど

あれってドラクエだから叩かれてるわけじゃなく
「ゲームなんて時間の無駄という批判と戦う」というテーマ自体がだめなんだろうか?

同じテーマを「ネトゲの嫁は~」とか
「ノーゲームノーライフ」みたいな作品でやってもだめなのでしょうか?

一応平成生まれだけど
自分はゲームするものとして「ゲームなんて無駄」みたいにいわれると痛いなという
劣等感があるんだけど、
現代のそこらのゲーマーさんはあまりないんでしょうか?

なんだか質問ばかりになってしまったが全部答えろと言うわけでは無く
そういう事に対する意見がもらえたらと書いてみました・・。
(自分はどうも時代遅れっぽい・・。)
 

開拓者

ユーザー
自分はゲームを通してオンラインゲームでの金の生成・消費の経済学を学びましたし
神様という概念に深く触れる事で人生の大きな学びになりました。
また、三国志のゲームがなければ中国の古典(特に六韜と墨子)を知る事もなかっただろうとも考えています。

「対戦ゲームは相手がいなければ成立しない」とか
「底辺を楽しませなければ全体が廃れる」なども
ゲームを通した付き合いで学んでいきました。

そもそも、○○は時間の無駄 と思っている人は
無駄に見える時間にこそ価値がある という概念が理解できないのかもしれません。
薄っぺらい形でしか「無用の用」が理解できないのかもしれません。

こういう考えに至るようになったのもゲームのおかげですね。
 
最後に編集:
※ドラゴンクエストの映画に関しては、実際自分が見ていないので、コメントは差し控えさせていただきますが。

何時からでしょうか。「ゲームばっかりやっていたらダメ」が「ゲームなんて時間の無駄」にすり替わったのは…。
「ゲームばっかりやっていたらロクな大人にならないぞ」これに近い事を最初に仰ったのは、初代ゲームのカリスマとも言える
髙橋名人その人だったと記憶しています。上手くなるコツを聞かれた際にも、
「どうやったらそれだけ上手くなれるんですか?」という返しに「ファミコンばっかりやってたらダメだよ」と返しています。

高橋名人は「ゲームは1日1時間」という名言がありますがそれには続きがあり、

「ゲームは1日1時間。外で遊ぼう元気良く。僕らの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。僕らは未来の社会人」
というものです。さらに高橋名人は「ゲームだけでなく、いろいろなことに興味をもって挑戦することが大事」とも
仰っています。

実際、大人になって結構な年月が過ぎましたが「ロクな大人じゃない」人って案外少ないです。
ただその僅かな「ロクな大人じゃない」人の中に「ゲームしかやってない」人が圧倒的に多いのではないのかと感じます。
それがゲーム否定派の「ゲームばかりやっていたらダメ」=「ゲームなんて時間の無駄」を肯定する材料になってしまって
いる(本当はイコールではないのですが)のではないかと考えています。

某音楽ゲームの歌詞ですが、外から見れば一見無駄にも見えるゲームプレイに対する1つのアンサーかもしれないものを。
「なんでそこまで必死なのかね?」→『ゲームが死ぬほど好きだから』
「他にすること無いんですかね?」→『ゲームをやるため生きてます』
「それが出来たら何になるのよ?』→『生きる希望が湧いてきます』

「ゲームしかやらない」はアレですが、ゲームで生きる気力が出るなら、それはそれで素晴らしいものじゃないかな、と。
ゲーム未プレイ、ゲーム以外に生き甲斐がある人にとっては、もしかしたら分からない感情かもしれませんが。

余談になりますが、もし「どうやったらそんなにゲームを沢山完成させられるのか」に1つ付け足すとしたら、自分も
「ツクールばっかりやってたらダメだよ」と答えるかもしれません。
 
最後に編集:
「ゲームは無駄」という意見については僕もかなり反論したい部分が多いです。

まず、遊びとしてのゲームについて。「ホモ・ルーデンス」と言う言葉があります。
遊戯的人間とでも訳しましょうか、人間にとって遊びは必要なもので、
遊びによって、人類は進歩してきたのです。
ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」についても、同じような議論がなされており、
これはそのままテレビゲームにあてはめることが可能です。
要するに遊びを排除するということは、型にはまってしまう、すなわち、
進歩を止めてしまうことに等しいと思います。
これに気づかず、効率だけを追い求める人の感性は、どこか貧しいものを感じます。

そして、本題のテレビゲームについて。
ファミコン時代から、テレビゲームは悪者と見做されており、
それをイベントで親御さんたちの顔を見て察した高橋名人が
「ゲームは一日一時間」とアドリブで言った話はテレビ番組「しくじり先生」で出てきましたが、
(余談:個人的に一日一時間は短いと思っていますが)
前述の通り、人間の豊かさと言うのは、いかに「周囲からみて無駄に思えることを
楽しめるか」ということにあると思います。

僕がこの話題が出るたびに引き合いに出すのが、登山の話です。
登山を無駄と否定する人はほぼいないと思いますが、
ぶっちゃけ、無事登頂に成功しても、そこにあるのは景色と、
あとは旗を立てるだけで、他に何もないと思います。
それでは「登山は無駄」と言えるんでしょうか?
同様に、ゲームが無駄と感じる人は、何か人間として大切なことを忘れている気がします。

逆に有益なことばかりを追い求め、無駄を排除しようとする人は、
実は一番効率も悪く、むなしい人生だと思います。
一度、ソフトウェアエンジニア向けに書かれたデマルコの著書「ゆとりの法則」を
読んでいただきたいですね。
ゆとりというのは、このスレで議論された「無駄」と通じるものであり、
効率主義に警鐘を鳴らしています。

人間はホモルーデンスであり、決して効率や結果だけを追い求める機械ではないのです。
 
>サスケさん
>ファミコン時代から、テレビゲームは悪者と見做されており、
>それをイベントで親御さんたちの顔を見て察した高橋名人が
>「ゲームは一日一時間」とアドリブで言った話はテレビ番組「しくじり先生」で出てきました
 実放送を見ていないのですが、後日インターネット上でその真実を知りました。それを知った時の正直な感想を言えば
「たとえそうであってもその『真実』は隠してほしかったな」というのが本音です。
 同放送では「髙橋名人は実はゲームが上手くない」ということも暴露していたそうですが、
「すごくゲームが上手い『名人』が、上手くなるための秘訣を上手くなりたい子どもたちのために、考えて言った」が
「ゲームの上手くない単なる1広報の方が、保護者の批判をかわすために、思いつきで言った」では…。
言っている人も、言っている相手も、言っている言葉の重さも「ひとつもあってないじゃないか!」となっています。
(これを知ったのが自分自身「いい大人」になってからで本当に良かったです。さすがに今なら割り切れるので)
自作品の某キャラクターに「この世には知らなくていい事、知ってはならぬこともたくさんある」を決めゼリフに持っている
キャラがいますが、本当にその通りかな…と。
(事実、ゲームが上手くなるためとして馬鹿正直に1日1時間を守っていた、小学生時代の自分が虚しくなります…)

 前置きが長くなりましたが「ゲームなんて無駄」という意見に対しては自分も大反対です。ただ…。
「『無駄』で済めばいい」という考えもあります。つまり「無駄なんて生ぬるい。ゲームなんて有害物質だぞ」という意見に
対しては、完全に論破できるかと言われれば、実を言うと自分はその答えをまだ見つけられていません。前述の通り
「『ロクな大人じゃない』人の中に『ゲームしかやってない』人が圧倒的に多い」と感じるからです。
 
 野球の話になってしまいますが、某甲子園優勝監督がコラムでこんな事を仰っていました。
「世の中には野球を知らない人のほうが多いわけだし、一般社会では『野球をやっていたからこういうふうにできます』って
 言えるようにならないとダメだと思うんですよ。だって他の人からしたら、毎日野球をやっている俺たちを見て、
 バカじゃねぇのって思っていることもあるだろうし。(中略)俺は野球部なんだって威張っているようじゃダメなんだよね」

 ゲームと野球とは別物かもしれませんが『ゲームをやっていたからこういうふうにできます』
 と言えるようになる人が(自分も含めて)増えていったら、ゲームに対する世の中の見方も変わる…かもしれません。
 ちょうど「ゲームばっかりやっているとロクな大人にならんぞ」の逆の見方をしてもらえる感じで。
 もっとも、ゲームは「遊び」の範疇を越えてはいけないという持論もありますが、その「遊び」こそが人間の幅を
 広げてくれるものであるという意味では、このコラムに通じるものがあるのではないかと感じました。
 
 ちょっと壮大な話になってしまいましたが、ゲームの是非に関してはファミコン時代からずっと続く命題かもしれないですね。
 
最後に編集:
ゲームを批判する輩に言う事があるとすれば、こうですね。

「もっともらしい事を言っているが、要するに貴方が嫌いなだけだろう?
 だったら、貴方がやらなければいいだけ。
 やっている人を排撃するのは、自由権の侵害だ。そんな事をしていたら、貴方も同じ理屈で排撃されるぞ」
 
最後に編集:

開拓者

ユーザー
ふと思ったのですが、ゲーム以外に思いつく物が少ないから
「○○しかやっていない人」の○○に当てはまる単語が入らないのかもしれません。

自分からすると「スポーツしかやっていない人」にも「仕事しかやっていない人」にも問題児がいますね……
(例1:老人会のゲートボールでチームプレイなのに1人だけガチになって空気をギスギスさせる)
(例2:草野球で小学生に対して中学~高校で求められるような精神論をぶつける)
(例3:有給を怠け者の悪だと考える、個人個人の事情を差し置いて会社への奉仕を強制する)
(例4:効率的な手抜きを悪だと考えて理不尽な作業を押し付ける、うつ病などへの理解が薄い)

ぶっちゃけ「ゲームは時間の無駄だ」に対する最高の返し文句は「過ぎたるは及ばざるが如し」かもしれません。
(自分にも相手にも刺さるブーメランなので自分が過ぎた事をしているという自覚がないと気づきませんが)
 
「ゲームをやるのは無駄なのか?」ということに関連して、もう一つ問題提起をします。

みなさまは、eスポーツについてどう思いますか?

私はゲームが好きですが、単純に喜べないところもあります。
というのは、これまで日本において「スポーツ」や「アスリート」というのは求道者的な側面があります。
イチローや、中田英寿などはそういう風に見られることがありますよね。
これまでサブカルの遊びであったコンピュータゲームがいきなりそういった「スポーツ」の仲間に
加えられたのが、困惑のもとだと思います。
 

ぶー太

ゲスト
べつに遊びじゃなくなるわけではないんじゃないでしょうか

子供のころルールもわからず野球やサッカーやってたけど
別にアスリートを目指していたわけじゃないですし、
遊びのためのゲームは遊びのためのゲームで残ってくんじゃ?

・・・ごめんなさいeスポーツ自体詳しくないです。
 
 eスポーツに関しては個人的には大歓迎です。でもぶー太さんの仰る「遊びのためのゲーム」は残ってほしいと思っています。

 長文になってすみませんが、「遊びとスポーツ」という面と「ゲーム・ゲーマーのイメージ」という面から考えてみます。

・遊びとスポーツ
 スポーツには元々「生涯スポーツ」と「競技スポーツ」の二面性があると思います。ゲームにすればそれぞれ「エンジョイ勢」と「ガチ勢」がそのまま当てはまると思って良いかなと。度々問題になりがちなのは対戦環境によってはこのエンジョイ勢とガチ勢が
同じ土俵で戦わざるを得ない事。エンジョイ勢からすれば「相手が強すぎて楽しめない」と、ガチ勢からは「エンジョイ勢は
強くなるために練習しないから嫌」と、それぞれ不満が出てきます。卓球で例えるなら「温泉旅館で卓球を楽しむ」レベルの人に
「プロの大会に出る、またはその一歩手前」の人が手加減無しでサーブを繰り出して勝負しているようなものです。
 eスポーツを盛んにするのであれば、そこを目指す「ガチ勢」と、趣味としてゲームを楽しむ「エンジョイ勢」の線引きは
ある程度明確にしておいた方がいいと思います。むしろ「ガチ勢用の競技用ゲーム」的なものがあってもいいかもしれません。
 
 格闘ゲーム、特に最近なら「ストリートファイターⅤ」あたりはそういう「競技用」の側面が強いような気がします。
 微不利、有利フレーム、確反、グラ潰し、フルコン、暴れ…等々、知らない人からすれば「何語を喋ってるんですか」状態。
 エンジョイ勢なら全く知らなくても楽しめますがガチ勢なら「知らないとお話にならない」レベル。それくらい差があります。

・ゲーム・ゲーマーのイメージ
 ここ最近、ゲームセンターでの「奇声」がTwitter等で話題になっていたのでそれも含めて…。
 「ゲーム中に奇声をあげるのはマナー違反だからやめてほしい」という意見に対して、実際に奇声をあげている方からの意見で
非常に驚いたのは「謝る人はいても『もうやりません』という人がほとんどいない」こと。中にはそのマナー違反に対する
ペナルティに憤慨(いわゆる逆切れ)する書き込みもありました。もちろん良い事ではないのですが、その奇声を発する人にも
言い分があるかな…と思うようになりました(自分が歳を取ったのかもしれませんが)。
 
 そもそもゲームセンターというのは元々「いけない人たちが集まるところ」というイメージがありました。でもそれは逆に
「いけない人でも集まれるところ」でもあり、つまり「居場所」でもありました。それが時は流れ、一般の人たちも入りやすい
ゲームセンターに移行してきた=ゲームセンターにもマナーが求められる時代になった。良い事ではあるのですが、それは同時に
そこしか居場所が無かった「いけない人」たちが追われる結果となってしまったことになっていると思います。
(そもそも「いけない人」に居場所を与えること自体の是非に関してはとりあえず別として)

 ゲームに関しても同様で「ゲームばっかりやっているとロクな大人にならんぞ」ということは、裏を返せば
「ロクな大人にならなくてもゲームならできるぞ」という裏返し、良い言い回しではありませんがそれはつまりゲームの世界は
「ロクな大人になれなくても安心していられる居場所」でもあるのかなと思うのです。
 でもeスポーツという、世の中に認められた1スポーツとなればそうもいかないと思います。スポーツマンシップにのっとり…、
マナー重要、迂闊な失言は取り上げられ「喝!」の対象になるかもしれません。ゲームが世の中に認められるからには、
それをプレイする側にもそれ相応のマナーが求められます。それは嫌だ、ゲームはお行儀を無視してグダグダ、ダラダラとやるのが
いいんだ…。そういった方にしてみればゲームという居場所を奪われてしまう事になり、いい気持ちはしないかもしれません。

 同じスポーツの例とするなら「スノーボード」がちょっと近いかもしれません。偏見かもしれませんがスノーボード選手は
他のスポーツ選手と比べると「チャラい」選手が多い気がします。今は少し変わったかもしれませんが、でもスノーボードはその
「チャラさ」こそが魅力の一つだった、という愛好家からすれば、スノーボードがオリンピック種目になり注目された反面、
「チャラさ」とは逆のお行儀の良さを求められるようになったのは、ちょっと素直に喜べない…という意見もあるかもしれません。

 一般社会に認められる「eスポーツ」としての立派な1ジャンルとしてのゲームの存在の誕生を歓迎する一方で、
 趣味として、遊びとして楽しめる範疇の、さらにははみ出し者の居場所としての「ゲーム」の存在も残ってほしいなと思います。
 

温州みかん

ユーザー
みなさまは、eスポーツについてどう思いますか?
「eスポーツ」って、1フレームのラグで勝敗が分かれたり、大会の規定(あやふやなものが多い)で定めたコントローラでは入力できない入力をできるよう改造したりする「ハードの勝負」みたいなところがあるので、囲碁や将棋とはちがう何かを感じます。
プレイ中に乱数解析をするのもグレーなので、なんというか、ちょっとゲームがうまい人が参加するものではないような”壁”を感じます。
マラソン大会のアスリート枠とエンジョイ枠の差というのでしょうか・・・
マラソンならその中間に「一般枠」があるのですが、それがないのが「eスポーツ」です。

日本では流行らないでしょう。
好きなゲームに勝つために、解析やらプレイ環境の構築やらを本気でする層がどの程度いるのかってことです。
専用の部屋を造って、初めてスタート位置に立てる、参加資格を得られるのが「eスポーツ」というイメージです。
ボーカロイド楽曲の開発環境にも似たような狂気を感じますが、こちらはDTM※環境をベースにすると、せいぜいボカロライブラリを導入する程度なので、もともと狂っている人が、一歩前進した程度で済みます。
ので、初音ミクはクリプトン・フューチャー・メディア社の予想を超えて売れた、という経緯があります。

制作者から見た「eスポーツ」は絶対にミスやバグを出してはいけない、というとても敷居が高い開発環境を要求されそうで、結局、ありきたりな仕様や計算式を選んでしまいそうになります。
私がやってしまった「雷の刃」が内部的に水・氷属性だったというミスなんか、XXされそうです。
なお、↑修正済み。

※DTM デスクトップミュージックの略、PCで楽曲を作ること全般を指す 類語:DAW
 

開拓者

ユーザー
eスポーツ、ある意味時代の流れかなと思いました。
将棋にせよ野球にせよ最初は上級者も指導者もなくサブカル的な位置づけから始まって
そこから上級者と中級者が生まれて指導者が生まれていったんだと思います。

サブカルであるためにも初心者と上級者の住み分けが必要になってきて
負ける事への向き合い方や弱い人との付き合い方を考える勉強にもなるので
スポーツとして盛んになってプロが増えると言うのは悪くはない事だと思います。

ただ、草野球やボール遊びを子供に楽しいと思わせられなきゃ根っこから廃れるように
素人の手探りのヘタクソプレイを楽しいと思わせられなきゃ対戦相手が居なくなって
応援する人もいなくなって根本的に廃れちゃいます、でも、危機は人を育てます。

そういう意味であらゆる人が成長するきっかけになるので
eスポーツという定義も悪くはないんじゃないかなと思いました
(そもそもスポーツは機械がない頃のサブカル・ゲームではって屁理屈もありますし)
 
最後に編集:

ぶー太

ゲスト
夢幻台さんの説明をきくとちょっと深刻に思えてきました。
ネトゲとかカードゲームショップとかだと「エンジョイ勢は邪魔だ!オフラインや家でやれ!」
みたいな風潮もたまにあるらしいですし、
実際、ガチ勢になかなかなれない自分は人と関わるゲームをあまりやらないです。
ガチじゃないとゲームをやっちゃダメな時代というのがもし来たら少し怖いなあと思いました。
 

開拓者

ユーザー
住み分けができればいいんですよね、飛び級などのシステム整備も必要です。
いくら強くても「お前とやるくらいなら辞める」と思われたら対戦できないように
対戦相手とチームメイトに感謝する気持ちを教育するのも大切です。
顔と顔を向き合わせないオンラインだからこそ、おろそかにされてる事だと思いますが……

Eスポーツになるのはかまわないけど、Eスポーツとして発展させる哲学はできているのか
底辺を広げ集め支えてくれる人材はいるのか、とか課題が多いと思いました。

ちなみに強いほうが縛りプレイを楽しめるようになると
エンジョイ勢の力に合わせて試合を楽しむ事ができるようになるんですよね
(使う物を弱いほうに合わせたり、将棋でいう駒落ちだったり、どうぶつしょうぎだったり)

弱肉強食って 強が弱を食らうだけでなく、弱が居なくては強は存在できない、って意味もあるんですよね。
エンジョイも突き詰めると求道者的なところがあるので、求道者そのものは悪くなくて
道を求めない人やそこそこ道を求める人が楽しめるかどうかなんですよね……
ゲームが人格を磨く事もあるので捨てたもんじゃないですが……
 
最後に編集:
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